VIRTUOSO | VIOLINS
ヴァイオリンの誕生から クレモナの現代製作家までの 系譜を辿る
ヴィルトゥオーゾ ヴァイオリン
ヴァイオリンの専門家 杉田 直樹 (株式会社ヴィルトゥオーゾ 代表取締役)
ヴァイオリンの専門家 杉田 直樹 (株式会社ヴィルトゥオーゾ 代表取締役)
Concept
最高の音を、あなたの元へ
こんな方におすすめです。
直輸入したヴァイオリン、チェロやお客様の楽器は専門の技術者が修理・修復・調整をしております。楽器に新たな息吹を与えるのも私たちの役割です。
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購入後も、修理・調整をプロにお願いしたい
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About us
海外市場と歩んできた、創業25年、ディーラー歴35年の信頼と実績。
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ヴァイオリン専門店として
ヴィルトゥオーゾはヴァイオリン専門店として名古屋、東京、京都、札幌の拠点をはじめ全国各地域で営業活動を展開しています。イタリアの名器をはじめ現代作家の作品を多く取り揃えるほか、ヨーロッパで仕入れる各国のアンティークにも力を注いでいます。クレモナの現代作家から発祥の源流まで500年を辿る壮大なストーリーを持つヴァイオリン、その歴史の伝道者としてその魅力と奥深さをお伝えしてまいります。

万世一系?クレモナのヴァイオリン製作
ヴァイオリンの誕生から、イタリアのヴァイオリン製作は厳密な意味での万世一系(直系の血筋や流派が途切れることなく続くこと)ではありませんが、その技術や知識は確かに何世代にもわたり受け継がれ発展してきました。アマティ、ストラディヴァリを源流として、ベルゴンツィ、チェルーティ、そしてアントニアッツィ、ビジャッキ、オルナーティ、ガリンベルティ、モラッシ、ビソロッティといった各時代の代表的製作家たちは、師弟関係や共同作業、あるいは互いの作品研究を通じて、クレモナ周辺、またはイタリア国内、世界へもヴァイオリン製作の伝統を時代を超えて繋いできたと言えます。彼らは単なる模倣ではなく、それぞれの時代と自身の個性を反映させながら、この偉大な伝統を守り、発展させてきました。言い換えればヴァイオリン製作の伝統において、製作家同士は源流を辿れば師弟関係や地域的な繋がりを通して密接に結びついていると言えます。彼らは単なる一族の系譜だけでなく、互いに影響を与え合いながら、その技術と芸術性を継承し発展させてきました。このように、アマティ、ストラディヴァリ以来、ヴァイオリン製作の技術は師匠から弟子へと脈々と受け継がれてきましたが、それは直線的な「万世一系」というよりは、多くの枝分かれと合流を繰り返しながら、時代や地域を超えて発展してきた壮大な系譜と言えます。
Title
クレモナのヴァイオリン製作の系譜と派生
クレモナは、ニコロ・アマティ、アントニオ・ストラディヴァリ、そしてグァルネリ・デル・ジェスといった巨匠たちを生み出した、ヴァイオリン製作の聖地です。彼らの技術は、その後の世代の製作家たちへと受け継がれていきました。
Amati
ヴァイオリンの誕生とアマティ家
(Andrea Amati ca.1505-ca.1580, Nicolo Amati 1596-1684)
(Andrea Amati ca.1505-ca.1580, Nicolo Amati 1596-1684)
アンドレア・アマティは「ヴァイオリンの父」と呼ばれることがありますが、彼がヴァイオリンを完全に「発明」したわけではありません。実際には、それ以前に存在していた弦楽器をもとに、複数の職人たちが試行錯誤を重ねて、現在のヴァイオリンの形が作られていきました。しかし、アンドレア・アマティこそが、現代のヴァイオリンの原型を作り上げ、その後のヴァイオリン製作に計り知れない影響を与えた人物であることは間違いありません。 アンドレア・アマティは、ヴァイオリンの誕生において非常に重要な役割を果たしましたが、彼が確立したデザインは、500年経った現代でも大きく変わることなく受け継がれています。
1. デザインと構造の確立
アンドレア・アマティは、ヴァイオリンの形状や構造に革新をもたらしました。彼は、現代のヴァイオリンに近い完成度の高いデザインを生み出し、その後の製作の基準を確立しました。彼の息子たち、アントニオとジローラモは、f字孔の形状の改良や、楽器全体のデザインに新しいアイデアを取り入れ、さらにヴァイオリンの完成度を高めていきました。
2. クレモナ派の礎
アンドレア・アマティはイタリアのクレモナに工房を開き、クレモナをヴァイオリン製作の中心地としました。その技術と伝統は、アマティ家を通じて受け継がれ、その後のアントニオ・ストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスといった偉大な製作家たちに大きな影響を与えました。彼らはアマティのスタイルを学び、さらに発展させることで、ヴァイオリン製作の黄金時代を築き上げました。
3. オールドヴァイオリンの源流と徒弟制度の開始
アンドレア・アマティが製作したヴァイオリンは、現存する最古のヴァイオリンの一つとされています。彼の作品は、その後のオールドヴァイオリンの基準となり、今日に至るまでその音色や美しさが高く評価されています。彼の孫であるニコロ・アマティは一族の間で守られた製作の秘匿を徒弟に広げた偉大な製作家であり、親方であったと言えます。彼は史上最高の製作家とされるストラディヴァリの師匠であり、ヴァイオリン製作史において重要な役割を果たしました。
4.各地で流派を築いた名工たち
ニコロ・アマティの教えを受けた弟子たちは、クレモナだけでなく、イタリア各地に移り住んで製作活動を行い、それぞれの地域で新しい流派を築きました。アントニオ・ストラディヴァリ以外にも有名な弟子として考えられるのはクレモナではグァルネリ・デル・ジェスの一族(ガルネリ・ファミリー)の祖であるアンドレア・グァルネリ、ルジェーリ家(フランチェスコ・ルジェーリ)、ミラノのグランチーノ家(パオロ・グランチーノ)、マントヴァのカミッロ・カミッリとトマソ・バレストリエリ、ヴェネツィアのサント・セラフィン、ナポリのガリアーノ家(アレッサンドロ・ガリアーノ)、ピアチェンツァのグァダニーニ家(ロレンツォ・グァダニーニ)、ブレシアのジョバンニ・バティスタ・ロジェーリ、トリノのジョフレッド・カッパ、アブサム(オーストリア)のシュタイナー、ナンシー(フランス)のアンリ・ムダールなどが挙げられ、そのほかフィレンツェ、ローマ、ボローニャ派にも影響を与えました。ニコロ・アマティの弟子たちが各地に散らばり特定の流派を築いたことは、ヴァイオリン製作の伝統がクレモナだけでなく、イタリア全土、さらには世界へと広がるきっかけとなりました。彼らがそれぞれの工房でまた弟子を育て、その技術を伝えていったのです。彼らはニコロの製作スタイルを学びながらも、独自の工夫を凝らしてそれぞれの傑作を生み出し各地特有のモデルを生み出して流派の祖やパイオニアとなりヴァイオリン製作史に名を刻んでいます。
Antonio Stradivari
500年のヴァイオリン製作史上最高の製作者と言われるアントニオ・ストラディヴァリとは
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Point 01
彼の製作した楽器「ストラディヴァリウス」その音色の卓越性、希少性と歴史的価値、製作技術の高さ
ストラディヴァリウスの音色は、シルバートーンと評され、その「遠鳴り」する特性が特徴です。密度の濃い音が大きなホールの最後列まで届き、音の深みがあり、演奏家の求める音楽表現を可能にする楽器とされ演奏家をサポートしてくれる、特別な力を持つ楽器だと考えられています。多くの研究者がその音色の秘密を解明しようと試みていますが明確な答えは見つかっていません。 生涯で約1200〜2000挺もの弦楽器を製作したとされていますが、現在確認されているのは約600挺ほどで、その希少性が楽器の価値をさらに高めています。その希少性は音楽家だけでなく資産家やコレクターにとっても垂涎の的となっています。 ストラディヴァリは素材の希少性を見極め、ヴァイオリンの機能的な先見性を持っていたと言われます。彼の製作技術は、初期から晩年まで安定して高い評価を得ており、「ストラディヴァリウスにはずれなし」とされます。彼は自然や数学の知識、研究への深い情熱と精神、芸術家としての鋭敏な感性、そして卓越した技術力と経験を組み合わせた天才的な人物であったと考えられています。
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Point 02
アントニオ・ストラディヴァリの生涯と4つのピリオド
アントニオ・ストラディヴァリは1644年にイタリア北西部のクレモナで生まれました。正確な誕生日は不明ですが、1737年12月18日に亡くなるまで、実に93歳という長寿を全うし、その人生のほとんどを弦楽器製作に捧げました。 ストラディヴァリは、当時クレモナで最も大きな工房を構えていたニコロ・アマティのもとで、1667年から1679年まで約12年間、楽器製作の技術を学びました。彼はアマティの弟子として、その様式や技術を吸収しましたが、後に独自の独創性を発揮していきます。1666年製のヴァイオリン「セルデ」のラベルには、「ニコロ・アマティの弟子であるアントニオ・ストラディバリが1666年に製作した」と記されており、彼がアマティの工房でキャリアを積んだことが伺えます。 1680年に自身の工房を構え、楽器製作者としての名声を得るようになります。彼の2人の息子、フランチェスコとオモボノは父親の工房で働き、晩年の作品には彼らの手が加わっているものも多く存在します。 ストラディヴァリが製作した楽器は、その時期によって異なる特徴を持っています。彼の作品は大きく4つの時期に分けられ、それぞれの時期で「究極のヴァイオリン」への探求心があらわれています。
❶アマティーゼ期 (1666年〜1690年頃) :この時期は、師であるニコロ・アマティのスタイルを踏襲した作品が多く、「アマティーゼ」と呼ばれています。外観はアマティスタイルを彷彿とさせますが、パフリングのラインやスクロールの形など、細部に既にストラディバリ独自の特徴が見られます。❷ロング・パターン期 (1690年〜1700年頃) この時期には、ヴァイオリンのボディ長が約3mm拡大され、355mm前後となります。この「ロングモデル」は、ストラディヴァリの探求心が具体的に形になったものです。 ❸黄金期 (1700年〜1720年頃) この時期は、ストラディヴァリが理想的なモデルを発見し、彼の製作技術が最も円熟した時期とされています。バランスの取れたフォルムと卓越した音色を誇る「ハンマ」(1717年製)のような作品が生まれ、「これ以上のフォルムはない」とまで評されています。ヴァイオリンだけでなく、チェロの製作においても、1699年には胴長75cmの型が作られ、これが現代のチェロの基本モデルである「ストラド型」となりました。 ❹晩年 (1720年〜1737年) 晩年になるとストラディヴァリも高齢になり、息子たちと共に工房を運営します。この時期の楽器は、黄金期と比べるとややアーチが高いフォルムが特徴で、細部の仕上げには若干の衰えが見られるものもあります。しかし、「サスーン」(1733年製)や「ムンツ」(1736年製)のように、クライスラーやメニューインなどの著名な演奏家が愛用した、黄金期に遜色ない名器も数多く製作されています。
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Point 03
ストラディヴァリウスの音色の科学的解明と実験
ストラディヴァリウスの音色を科学的に分析する試みは多く行われていますが、特異な点を見つけるのは難しいとされています。その理由は、バイオリンの音色が、倍音と共鳴の微妙なバランスによって決まる複雑なものであるためです。 ストラディヴァリウスの音色には、素材の化学処理など様々な要因が関係していると考えられています。 ストラディヴァリの時代には、木材にホウ砂、亜鉛、銅などの化学薬品を使った処理が施されていたという説、木材とニスの間にはコーティング層があり、これが音色に影響を与えている可能性も指摘されています。最近の研究では、このコーティングにタンパク質の斑点が含まれていることが確認されましたが、それがどのようなタンパク質で、どのように塗布されたのかはまだ明らかになっていません。それよりもアントニオ・ストラディヴァリの持つ素材を見極める目、そして卓越した製作技術や長年の経験が卓越した音色を生み出していることは間違いがないでしょう。材料については、寒冷な気候が木材の生育に影響を与え、密度が高く音響特性に優れた木材が育ったという説もあります。現代の技術や科学をもってしても、ストラディヴァリウスの音色を完璧に再現することはできていません。ヴァイオリンの振動を音域ごとに近づけたとされる作品を用いた実験でも、波形が近くとも全く異なる音を人間が感じるという結果も出ています。一方で、ストラディヴァリウスと現代のバイオリンの音色を比較する「ブラインドテスト」が複数実施されており、興味深い結果が出ています。 いくつかの研究では、聴衆はストラディヴァリウスよりも現代のバイオリンの音色を好む、あるいは両者の音色に大きな違いを認めないという結果が出ています。演奏者と聴衆の両方が新旧のバイオリンを聞き分けることが難しいというケースもあります。 プロのヴァイオリニストによるブラインドテストでは、必ずしもストラディヴァリウスの方が良い音だと評価されるわけではないことも示されています。中には、現代のバイオリンの方が好ましい音色を奏でると評価されたり、ストラディヴァリウスが最も音が悪いと判断されたりすることもあります。 これらの結果から、ストラディヴァリウスの音色が優れていると感じるのは、「何百万ドルもするヴァイオリンが演奏されている」という特別感や希少性からくるプラセボ効果(音響心理学的な幻想)である可能性も指摘されています。
Stradivari / Bergonzi
ストラディヴァリ没後の空白を埋めたベルゴンツィ・ファミリー
ストラディヴァリが没すると、クレモナの弦楽器製作の主流はグァルネリ・デル・ジェスとルジェーリ、ベルゴンツィが位置を占めたと思われます。
1.ベルゴンツィ家について
ベルゴンツィ家は、Carlo Bergonzi (カルロ・ベルゴンツィ)を祖とするヴァイオリン製作家の一族です。 カルロ・ベルゴンツィは、18世紀前半に活躍したクレモナの偉大なヴァイオリン製作家で、アントニオ・ストラディヴァリやジュゼッペ・ガルネリ・デル・ジェスと同時代を生き、その作品から彼らから大きな影響を受けていたことがわかります。彼の作品は、ストラディヴァリから受け継いだ要素と、グァルネリの要素、彼自身の独創的なスタイルが融合した作品で、力強く美しい音色が特徴です。その息子ミケランジェロ、ゾジモと孫にあたるニコラ、カルロ2世はカルロ・ベルゴンツィの工房を引き継ぎますが、突出した天才と言われたカルロに及ぶことができず次第に名声は薄れていったものと考えられています。
2.カルロ・ベルゴンツィ (Carlo Bergonzi)
師事について: 彼がどのように製作を学んだかについては諸説ありますが、最近の研究ではルジェリ家との密接な関係が指摘されています。彼の母親がヴィンチェンツォ・ルジェリの娘の名付け親であったことや、1712年頃に同じ教区に住んでいたことなどから、強い影響を受けたと見られています。
作風: 1720年代初頭に独立したと考えられており、ヴァイオリンのアウトライン、f字孔の形、パフリングにブナ材を使用する点など、ルジェリの作風の影響が見られます。一方で、ストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスが用いたような上質の木材、美しいニス、そして優れた製作技術により、クレモナ派の最高傑作に劣らない名器として高く評価されています。
ストラディヴァリ工房での活動: 1746年にはストラディヴァリ工房に移り、1758年まで働いたとされています。ストラディヴァリが亡くなった後、その未完成品を引き継いで製作を行ったと考えられています。
3.ミケランジェロ・ベルゴンツィ (Michelangelo Bergonzi)
ミケランジェロ・ベルゴンツィは、カルロ・ベルゴンツィの息子です。
生い立ちと活動: 1721年、クレモナのサン・ルカ教区で生まれ、父カルロのもとで製作の手ほどきを受け、早くから父の仕事を手伝っていました。
ストラディヴァリ工房の継承: 1745年には、父カルロと共にカサ・ストラディヴァリ(ストラディヴァリの家と工房)に移り住みました。父カルロが1747年2月に亡くなった後も、ミケランジェロはそこで製作を続けました。
作風と位置づけ: 彼の作品は技術と独創性の両面で父親ほどではありませんでしたが、クレモナの古典時代のヴァイオリン製作伝統の最後の継承者の一人として位置づけられています。アマティ、ルジェーリ、グァルネリ、ストラディヴァリの「4つのアトリエの輪を閉じた存在」とされ、アマティの完璧主義とデル・ジェスの自由なスタイルを融合させたと言われています。クレモナの偉大な先人製作家たちの技術と伝統を学び、理解し、それを自身の作品で昇華させることで、一つの集大成を成し遂げたという意味ですが、後世に受け入れられたスタイルかどうかは別として、クレモナ派の変遷の最終型と捉えるといいのかもしれません。
4.ニコラ・ベルゴンツィ (Nicola Bergonzi)
ニコラ・ベルゴンツィは、ミケランジェロ・ベルゴンツィの甥です。ミケランジェロの弟ゾジモの息子でカルロ・ベルゴンツィの孫にあたり、弟のカルロ2世とともに製作活動をしていました。
伝統の継承: ベルゴンツィ家のヴァイオリン製作の伝統は、彼の代の1800年頃まで受け継がれました。彼の作品に関する具体的な情報は少ないですが、弟のカルロ2世とともに一族の技術と様式を受け継いでいたと考えられます。 活動時期彼の活動時期は主に18世紀後半から19世紀初頭にあたります。この時期は、クレモナのヴァイオリン製作が最盛期を過ぎ、様々な変化が起こり始めていた頃です。
Storioni
衰退の時代に見えた光と復興 ストリオーニとチェルーティ vol.1
クレモナは、16世紀からヴァイオリン製作の中心地として栄え、アマティ、ストラディヴァリ、グァルネリといった巨匠たちを輩出し、「黄金時代」を築きました。しかし、18世紀末から19世紀にかけて、クレモナのヴァイオリン製作はカルロ・ベルゴンツィの没後一時的な衰退期を迎えます。
Lorenzo Storioni
1. クレモナのヴァイオリン製作の衰退の歴史的背景
政治・経済状況の変化 貴族階級の没落: フランス革命を始めとする社会情勢の変化により、ヴァイオリンのパトロンであった貴族階級が没落しました。これにより、高価で芸術的な楽器への需要が減少しました。
戦争と経済の変化: 戦争や工業化、経済の変化も製作活動に大きな影響を与えました。
製作者の減少と楽器の飽和: 1800年前後には、経済活動の変化もあり、職業としての製作家がイタリア全土でも減少しました。また、17世紀から18世紀にかけて作られたヴァイオリンが比較的手頃な価格で入手できたため、新しいヴァイオリンに対する需要が少なかったことも影響しています。
製作の中心地の移動/ドイツ系のシュタイナー型の人気:
クレモナの製作家たちは、アマティ時代から受け継がれてきた独自の製法に固執し、シュタイナー型の楽器など新しい製法を受け入れなかったことが、衰退の原因の一つとされています。
フランスの台頭: 同時期、フランスのミルクールやパリではモダン・ヴァイオリンの開発が進み、ヴァイオリン製作家やディーラーが繁栄していました。イタリアは、主にオールド・ヴァイオリンの修理や調整を担うことが多く、楽器の生産や需要が減少傾向にありました。 (参考ブログ) https://violins.jp/violin1//62941300-1ec0-41a1-bd7a-2d539867fe0c/
2. ロレンツォ・ストリオーニ
ロレンツォ・ストリオーニ(1744年~1816年)は、アントニオ・ストラディヴァリやグァルネリという黄金期の名工たちに続くクレモナ派最後の偉大なヴァイオリン製作家の一人とされています。彼はストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスの時代から一世代後に生まれ、彼らのような「偉大な伝統」との直接的なつながりはありませんでした。彼はクレモナで生まれ育ち、その独特の研究アプローチと革新的な技術により、ヴァイオリン製作の世界で重要な存在として広く認識されています。
製作の背景と特徴: 18世紀後半から19世紀初頭にかけての彼の活動期間は、クレモナの社会的・経済的構造が戦争や改革によって大きく変化し、材料の入手も困難な時代でした。
独自性: ストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェスのパターンを綿密に検討しつつも、より大胆で独創的な作風を持っています。完璧で非の打ちどころのない初期のクレモナの巨匠たちの基準から逸脱し、実験的なアプローチを取り入れたとされています。
デザイン: やや非対称な特徴を持ち、荒々しく個性的な感触を与えることで、彼のヴァイオリンは際立っています。f字孔の位置を変えたり、地元の楓材の中から珍しい野生的な材料を選んだり、幅広で頑丈なパフリングで装飾を施したりするなど、その創造性で大胆な調整を加えました。
材料: 地元の木材を使用することが多く、表板にはイタリアン・スプルース、裏板と側板には地元のイタリアン・メイプルを使いました。必ずしも最高の木材を使っていたわけではありませんが、それは彼が生きた時代の状況によるものでした。
音色とニス: 豊富で温かい音色で知られており、これは彼の正確なニス塗りの技術と、音響共鳴を高める木材の加工技術によるものです。厚く暗いニス、しばしば赤みがかった茶色や光沢のある金褐色が特徴で、美しさと機能的な保護の両方を兼ね備えており、ヴェネツィア派の影響を感じます。
影響を受けた作品(製作家):
ストリオーニは特定の師匠の直系というよりも、先人たちの業績から学びつつ、自らの天才的な感性と革新性でクレモナのヴァイオリン製作に新たな道を切り開いたとも言えるでしょう。
グァルネリ・デル・ジェスの影響: 彼のヴァイオリンは、グァルネリ・デル・ジェスを模倣していると思われると同時に、独創的であると評されています。音の面でグァルネリ・デル・ジェスと非常に似ており、「小さなデル・ジェス」とも呼ばれています。
ジョバンニ・バッティスタ・グァダニーニ (Giovanni Battista Guadagnini)、トマーゾ・バレストリエリ (Tommaso Balestrieri)の作品の研究: これら他の地域の製作家たちの作品からも学び、彼自身の独創性でクレモナのヴァイオリン製作に新たな息吹を吹き込んだと考えられます。
ルジェーリ・ファミリーとの関わり: 近年の研究でストリオー二家とルジェーリ家の末裔が婚姻を通じて親戚関係であり、隣家であったことがわかっています。ルジェーリ家の製作が続いていた可能性を否定できない限り、ルジェーリからの製作上の影響については否定はできないと考えられています。
影響を与えた後継者たち: ロレンツォ・ストリオーニは、ジョヴァンニ・ロタ(Giovanni Rota)とジョヴァンニ・バッティスタ・チェルーティ(Giovanni Battista Ceruti)の2人の弟子を通じて、クレモナのヴァイオリン製作の伝統を活性化させました。特にチェルーティは彼の成功した弟子の一人です。
功績: 18世紀後半から19世紀にかけて、クレモナのヴァイオリン製作は最盛期を過ぎ、伝統的な技術の継承が危ぶまれる時期でもありました。そのような中で、ストリオーニはクレモナの地で製作活動を行い、多くの楽器を製作しました。彼は、クレモナの凋落期において、その技術と精神を受け継ごうとした製作家の一人として認められています。またヴァイオリニストやコレクターの間で彼の楽器は高く評価され、現在もその需要は続いています。
Ceruti
衰退の時代に見えた光と復興 ストリオーニとチェルーティ vol.2
【Ceruti Family について】チェルーティ家は、ジョバンニ・バッティスタ・チェルーティ(G.B. Ceruti)を祖とするヴァイオリン製作家の一族です。
1.ジョヴァンニ・バティスタ・チェルーティ(Giovanni Battista Ceruti)
ジョヴァンニ・バティスタ・チェルーティ(1756-1817)は、後期クレモナ派のヴァイオリン製作者として名高い人物です。
生い立ち: ジョヴァンニ・バティスタ・チェルーティは、1756年にオーストリア国境近く、クレモナ北東のセストという小さな村で生まれ、1786年に家族と共にクレモナに移住しました。当初は布商人として生活していましたが、商売を通じてヴァイオリン製作者たちとも交流を深め、やがて自身も弦楽器製作の道へ進むことになります。
製作スタイル(ストリオー二とベルゴンツィ兄弟からの影響):
G.B.チェルーティは、長らくロレンツォ・ストリオーニの下で技術を学んだとされてきましたが、近年では研究によりベルゴンツィ家の影響も指摘されています。 おそらくベルゴンツィ兄弟(ニコラとカルロ2世)との交流を通じてヴァイオリン製作に転身したと考えられています。F字孔がボディのやや下方に位置し、横に伸びたスクロールなど、ベルゴンツィの影響を感じさせる特徴があります。 しかし、彼がストリオーニの熱心な信奉者であったことは確かで、ストリオーニが1802年頃にクレモナを去った後、チェルーティがその工房を引き継いだという説もあります(実際のところは不明です)。スクロールがストリオーニによって作られたチェルーティの楽器が存在することなどから、両者の間には何らかの強い関係があったと推察されています。また、虎杢が少ない裏板材をしばしば使用するのも共通の特徴の一つです。彼の楽器は甘く温かい音質を持つと評価されています。一般的に、ストリオーニよりも正確で洗練された作品を製作したとされています。
功績: 19世紀前半は彼の活動が最も盛んな時期でした。1802年頃にストリオーニがクレモナを去ったことで、彼は商業的に優位に立つ機会を得たとされています。チェルーティがクレモナ派の伝統を蘇らせた功績は大きく、チェルーティ家は3代にわたって後期クレモナ派の主要な製作家であり続けました。
2.ジュゼッペ・アントニオ・チェルーティ(Giuseppe Antonio Ceruti)
ジュゼッペ・アントニオ・チェルーティ(Giuseppe Antonio Ceruti)は、チェルーティ家のヴァイオリン製作を受け継いだ重要な人物です。彼は、偉大な父ジョヴァンニ・バティスタの工房を継ぎ、その技術を息子のエンリコ・チェルーティへと伝えました。
ヴァイオリン製作の継承者: 彼はジョヴァンニ・バティスタ・チェルーティの唯一の息子であり、ヴァイオリン製作の伝統を継ぐ存在でした。ジョヴァンニ・バティスタがクレモナに移住した直後に生まれ、1805年まで彼の工房で働いて製作技術を学びました。
製作家としてのキャリア: ジュゼッペ・アントニオが32歳になった1817年には、父親であるジョヴァンニ・バティスタから工房を受け継ぎました。しかし、彼がヴァイオリン製作家としてどのようなキャリアを歩んだのか、詳しい記録が残されていない部分も多いようです。1805年から1817年の間は、他の職業や別の楽器の製作者としての記録が残っています。彼を知り得るのは空白期間後の作品のみからとなります。
音楽家として: プロのコントラバス奏者であったジュゼッペは、音響や音質に深い興味を持ち、より良い音を追求したと言われています。
後継者: 彼の息子であるエンリコ・チェルーティも、彼の工房で製作技術を学びました。また、後に近代ミラノ派の開花に重要なポイントに位置する、ガエタノ・アントニアッツィもその弟子の一人です。ジュゼッペ・アントニオは後期クレモナ派、チェルーティ家のヴァイオリン製作の技術と伝統を、次の世代へと確実に繋いだ重要な役割を果たした人物と言えるでしょう。
3.リッカルド・ファビオ・チェルーティ (通称 エンリコ・チェルーティ Enrico Ceruti)
エンリコ・チェルーティ(1806-1883)として知られるリッカルド・ファビオ・チェルーティはクレモナのヴァイオリン製作家として名高いチェルーティ家の3代目です。彼は19世紀イタリアを代表するヴァイオリン製作者の一人として、コレクターや演奏家から高く評価されています。
生い立ちと修行: エンリコは、ジョヴァンニ・バティスタの孫にあたり、父親であるジュゼッペ・アントニオ・チェルーティから楽器製作の技術を学びました。父親と同様に、彼自身もコントラバスのプロ奏者でした。
製作活動と苦難: 1826年に家を離れた後、1830年にはヴァイオリン製作者として登録されましたが、1840年までに製作された楽器で現存するものは非常に少ないです。1840年から1850年頃は、父親の工房で共に働いていた可能性が指摘されています。 当時のクレモナでは、古い製作様式が時代遅れになりつつあり、フランス風の新しいヴァイオリンが台頭する時期でした。しかしエンリコは、フランスやイギリスで人気を集めていたストラディヴァリやガルネリ・デル・ジェスのコピー製作にはあまり興味を示さず、祖父の代から受け継がれたベルゴンツィの影響を受けた独自のモデルで製作を続けました。このため、生前は経済的に恵まれることはありませんでした。
その後の評価: 彼の作品はモダンヴァイオリンの影響を受け、精巧な仕上がりになっているのが特徴です。独特の形状を持ち、ストラディヴァリモデルとはまた異なる魅力を持っています。 彼は楽器製作だけでなく、オールド楽器のディーラーとしても活動していました。
製作家たちの流出(クレモナ衰退の時代)と近代ミラノ派の台頭
18世紀末から19世紀にかけて、クレモナの都市としての衰退に伴い多くの製作家がイタリア各地に散らばり、クレモナから製作技術が失われていきました。最後の製作家であるエンリコ・チェルーティの亡き後、20世紀初頭にはクレモナでのヴァイオリン製作は事実上途絶えることになりました。
フランスやドイツへの移行: ヴァイオリンの主要な生産地がフランスやドイツに移り、より安価な工場製品が主流となっていきました。イタリアのクレモナは、量産ではなく手作りにこだわってきたため、時代の流れに取り残される形となりました。
トリノ派の台頭: すでに19世紀の前半にはフランスの製作パターンと、ストラディバリ、グァルネリなどのクレモネーゼを融合させたかのような美しさと甘美で力強い音色を兼ね備えた天才製作者プレッセンダのヴァイオリンが人気を博していました。プレッセンダから派生した近代トリノ派は20世紀中期までクレモナに変わるヴァイオリンのメッカであり続けました。 → トリノ派について 関連ブログ
Ceruti Antoniazzi Bisiach
ジュゼッペ・チェルーティからアントニアッツィ(Antoniazzi)とミラノ派への波及
ジュゼッペ・アントニオ・チェルーティは18世紀後半から19世紀初頭にかけてのイタリアのヴァイオリン製作において、非常に重要な人物と言えます。彼の作品は、その後のミラノ派だけでなく、多くの製作家たちに大きな影響を与えました。
1.Gaetano Antoniazzi (ガエタノ・アントニアッツィ)への影響
チェルーティの製作技術と精神は、特にアントニアッツィ家へと受け継がれていきました。アントニアッツィは、チェルーティの工房で修行を積んだとされており、その影響はガエタノはじめ息子のリッカルドとロメオの製作する楽器にも色濃く現れています。ガエタノ・アントニアッツィは1870年頃にはクレモナを引き払い完全にミラノに移住しました。
2.ミラノ派への波及
チェルーティとアントニアッツィ家を通じて培われた技術とスタイルは、やがてミラノ派のヴァイオリン製作に大きな波及をもたらしました。
技術者育成の基盤: 彼らの工房は、多くの若手製作家を育成する場となり、ミラノ派の隆盛を支えました。
製作様式の確立: クレモナの伝統と各製作家の個性が融合し、近代ミラノ派独自の様式が確立されました。
国際的な評価: 近代ミラノ派のヴァイオリンは国際的にも高い評価を受け、近代トリノと並ぶイタリアにおけるヴァイオリン製作の中心地の一つとなりました。
3.ガエタノ・アントニアッツィと弟子Leandro Bisiach (レアンドロ・ビジャッキ)
ガエタノ・アントニアッツィとその弟子であるレアンドロ・ビジャッキはミラノ派のヴァイオリン製作において非常に重要な役割を果たしました。彼らの協力関係が、その後のミラノの弦楽器製作を大きく発展させたのです。
協力関係の始まり レアンドロ・ビジャッキは、幼い頃からヴァイオリン演奏に親しみ、独学で弦楽器の製作を始めていました。彼は自作の楽器をガエタノ・アントニアッツィに見てもらい、その才能を認められたことがきっかけで、1886年にミラノに移り、アントニアッツィと共に本格的に製作を学ぶことになります。
製作スタイルの確立: 当初、ビジャッキはアントニアッツィのスタイルで楽器を製作していましたが、オールド・クレモネーゼの技術を再評価し普及させる上でも重要な役割を担いました。彼は17世紀クレモナの銘器の模倣にも力を入れ、演奏家たちの意見を取り入れながら、洗練された楽器を作り上げていきました。やがてf字孔やスクロール、ニスなど独自のスタイルを確立していきました。
国際的な評価と工房の成功: ビジャッキは、1895年のロンドン国際コンクールを皮切りに、アトランタ、トリノ、パリなど国際的なコンクールで賞を次々と受賞し、弦楽器製作家としての才能を開花させました。アントニアッツィは職人気質で頑固な面がありましたが、ビジャッキは柔軟で、演奏や経営能力にも優れていました。彼らは対等な関係で工房を経営し、短期間でミラノを代表する大工房となります。この工房は、多くの弟子たちを迎え入れ、彼らをミラノを代表する弦楽器製作家へと育て上げていきました。
近代ミラノ派への影響: リッカルドとロメオ・アントニアッツィ兄弟(ガエタノの息子)もまた、ミラノでビジャッキの工房で働いていた時期があり、彼らの作品の多くにはビジャッキのラベルが貼られていたとされています。 ビジャッキの工房で学んだ弟子の中には、後にクレモナの国際ヴァイオリン製作学校の教師となり、ビジャッキから習得したミラノ派のノウハウを多くの学生に伝えたオルナティやガリンベルティも含まれます。
このように、ガエタノ・アントニアッツィとレアンドロ・ビジャッキの築き上げた協力関係と、その工房がミラノ派のヴァイオリン製作の礎となり、クレモナ黄金期以来となるイタリア・ヴァイオリン製作の一大王朝を再興させたのです。
4.ビジャッキ工房の製作者
ビジャッキの工房からは、多くの優れたヴァイオリン製作家が輩出され、彼らはミラノ派の発展に大きく貢献しました。ビジャッキの工房は単なる製作の場ではなく、才能ある若手製作家を育成する重要な機関でもありました。 著名な弟子たちと貢献 ビジャッキの工房で学び、後にミラノ派を牽引する存在となった弟子たちには、次のような人物が挙げられます。
Giuseppe Ornati (ジュゼッペ・オルナーティ)
ジュゼッペ・オルナーティは、ビジャッキ工房の最も著名な弟子の一人です。彼は1903年にビジャッキの工房に入り、ガエターノ・ズガラボットやリッカルド・アントニアッツィなど、当時の主要な製作家たちと共に働きました。
ビジャッキの影響と独立: 1919年頃までビジャッキの下で働き、その後独立して自身の工房を設立しました。彼の作品にはビジャッキスタイルの影響が見られますが、伝統に縛られず、自由な発想に基づいて独自のスタイルを確立しました。
技術と芸術性: 優美な曲線のアウトラインや、C部の長めのコーナーが初期の特徴です。赤橙色のニスの質感も非常に美しいと評価されています。裏板には虎杢の美しいメイプル材が多く使われています。
教育者としての功績: オルナーティは製作家としてだけでなく、教育者としても大きな功績を残しました。1961年から1963年にはクレモナ国際製作学校で教鞭を執り、Gio.Batta.Morassi(ジオ・バッタ・モラッシー)、Francesco Bissolotti(フランチェスコ・ビソロッティ)、Renato Scrollavezza(レナート・スクロラベッツァ)といった20世紀後半のイタリア楽器製作界を牽引する人材の指導にあたりました。
彼が学校に寄贈した道具やニスのレシピは、イタリア製作界の貴重な遺産となっています。
Ferdinando Galimberti (フェルディナンド・ガリンベルティ)
フェルディナンド・ガリンベルティもビジャッキ工房で修行を積み、後に独立して活躍しました。彼もまた、オルナーティと共にクレモナ国際製作学校で指導を行い、後進の育成に貢献しました。
Gaetano Sgarabotto (ガエタノ・ズガラボット)
ガエターノ・ズガラボットもビジャッキの工房で働いた製作家の一人です。彼の作品にもビジャッキ工房で培われた技術が反映されています。
ビジャッキの息子たち
レアンドロ・ビジャッキには、アンドレア、カルロ、ジャコモ、レアンドロJr. の4人の息子がおり、彼らも父の工房でヴァイオリン製作に携わりました。
Carlo Bisiach カルロ・ビジャッキ: 製作技術において傑出した才能を発揮し、初期には父の工房で学びました。その後独立してフィレンツェに工房を構え、緻密な美を追求する製作スタイルで高い評価を得ました。
Giacomo, Leandro Jr. Bisiach ジャコモ&レアンドロJr. ・ビジャッキ: 1932年に父レアンドロが引退した後、共同で父の事業を継承しました。ジャコモはニスや修復技術の習得に努め、レジェンド級の演奏家たちからも音響調整の名手として信頼されました。
その他、Riccardo Antoniazzi, Romeo Antoniazzi(リッカルド&ロメオ・アントニアッツィ兄弟)、Igino Sderci(イジノ・ズデルチ)、Celeste Farotti (チェレステ・ファロッティ)、Sesto Rocchi(セスト・ロッキ)など優秀な製作家がビジャッキのためにヴァイオリンを製作し、彼らもまた優秀な製作家として評価されています。
近代ミラノ派の発展への影響
これらの弟子たちは、ビジャッキの教えを受け、それぞれの才能を開花させながら、ミラノ派のヴァイオリン製作の黄金時代を築き上げました。ビジャッキの工房は、クレモナの伝統的な製作技術と、演奏家の意見を取り入れた革新的なアプローチを融合させることで、ミラノ派独自のスタイルを確立しました。彼の弟子たちは、この伝統と革新の精神を受け継ぎ、個性豊かな作品を生み出すことで、ミラノをイタリアにおけるヴァイオリン製作の一大拠点へと押し上げたのです。
クレモナのヴァイオリン製作の復興
現代クレモナ製作家へのルーツ
クレモナのヴァイオリン製作の復興
現代クレモナ製作家へのルーツ
クレモナのヴァイオリン製作は、20世紀に入ってから国家的な事業として復興への道を歩み始めました。その事業に密接に貢献したのが近代ミラノ派のオルナーティ、ガリンベルティ、ズガラボットらです。
ファシズムと国家事業としての復興 ロベルト・ファリナッチの関与: ファシズムの台頭に伴い、その国粋主義的思想がヴァイオリン製作にも向けられ、「クレモナのヴァイオリン製作復興」が国家的な事業として推進されました。ムッソリーニ政権下でファシスト党の幹部であったロベルト・ファリナッチがこの動きに深く関与しました。
ストラディバリ生誕200周年祭: 1937年にアントニオ・ストラディバリ生誕200周年祭が開催され、これが復興への大きな契機となりました。
ヴァイオリン製作学校の設立: 1938年、第二次世界大戦直前に国立のヴァイオリン製作学校が設立されました。これはムッソリーニの提唱によるものでした。
優秀な講師陣と卒業生: 戦争中にファシスト政権は打倒されましたが、ヴァイオリン製作復興の意欲は受け継がれ、製作学校はその後も存続しました。優秀な講師陣が世界中から集まり、多くの優秀な卒業生がクレモナで開業したことで、再び世界随一のヴァイオリン製作の地へと復興を遂げました。とりわけオルナーティ、ガリンベルティの製作技術と精神が、後世に有名になるジオ・バッタ・モラッシとフランチェスコ・ビソロッティに伝えられ、その弟子たちが活躍しているのが現代のクレモナです。
現代のクレモナ 「ヴァイオリン製作の聖地」としての確立: 1970年代から活気を取り戻したクレモナは、「クレモナ様式」という伝統的製作方法への回帰などにより、ヴァイオリン製作のメッカとして復活しました。
ユネスコ無形文化遺産登録: 2012年には、クレモナの「ヴァイオリン製作の技術」がユネスコ無形文化遺産に登録され、その伝統と文化的な価値が世界的に認められました。
現在: 現在のクレモナには、約180~190もの工房があり、多くの職人や学生が活動しています。
このように、クレモナは一度衰退の危機に瀕しながらも、歴史的背景を乗り越え、国家的な支援と教育機関の設立を通じて、再びヴァイオリン製作の世界的な中心地として確固たる地位を築き上げたのです。
現代クレモナ派を牽引した二人の巨匠
現代活躍するクレモナ派の製作家のほとんどがいずれかの流派に属すると言っても過言でない
その絶大な影響力はヴァイオリン製作史上、最大といえます
その絶大な影響力はヴァイオリン製作史上、最大といえます
クレモナのヴァイオリン製作学校とは?
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Gio. Batta. Morassi
ジオ・バッタ・モラッシ(Gio Batta Morassi、1934年 - 2018年)は、近年のクレモナ派を代表するイタリアの弦楽器製作者であり、多くの弦楽器製作者に影響を与えた指導者としても知られています。 古いクレモナの伝統を現代に継承し、多くの弟子を育てました。彼の息子もまたこの伝統を受け継いでいます。
生涯と功績 ジオ・バッタ・モラッシは1934年にイタリアのウディネ県チェダルキスで、木工職人の家系に生まれました。16歳で弦楽器製作の道を志し、クレモナ国際弦楽器製作学校で学び、1955年に卒業しました。卒業後はPietro Tatar(ピエトロ・タター)のもとで働き、1971年には母校の主任教授に就任し、1983年まで多くの弟子たちを育成しました。 製作スタイルと作品 彼は伝統的なクレモナ派のスタイルを尊重しつつ、独自の改良を加えていました。特に、ジュゼッペ・オルナーティやフェルディナンド・ガリンベルティのモデルを受け継ぎながら、ミラノ派の弦楽器に見られる柔らかく丸みを帯びたラインを好んだとされています。モラッシの製作した楽器は音響的な完成度が高く評価されており、現役時代にはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを中心に約1000台もの楽器を製作しました。初期の作品には探究心の表れや、試行錯誤の過程が見られますが、円熟期に入ると安定したスタイルでの製作がされるようになります。トリノ派の楽器の研究にも熱心で、プレッセンダやロッカと言ったトリノの作家の作品のスタイルも取り入れたとされています。彼の作品は、1970年代以降の現代イタリア製楽器としては異例の価格で取引されることもあります。自身の楽器は30年後に鳴ように作ってあると語っていたように、実際に30年以上が経過した楽器は多くのプロ演奏家からの評価が上昇していきました。 栄誉と影響 国際製作コンクールで10以上の金賞を受賞し、2015年にはウディネ大学から名誉修士号を授与されました。弦楽器製作家協会の設立や国際審査員としての活動を通じて、世界の製作界に大きな影響を与え、クレモナのヴァイオリン製作の発展に大きく貢献しました。彼の指導は自らのスタイルの押し付けではなく、自由な発想を重視したとされ、その技術と精神は、息子のシメオネや甥のジョバンニ・バティスタ、孫のジュリオをはじめとする弟子たちに受け継がれています。
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Francesco Bissolotti
フランチェスコ・ビソロッティ(Francesco Bissolotti、1929年 - 2019年)は、「現代のストラディバリウス」とも称されたヴァイオリン製作者です。現代クレモナを代表する国際的にも著名な巨匠であり、多くの演奏家が彼の作品を愛用しています。また、ヴァイオリン製作における優れた指導者でもあり、多数の後進を育成しました。 生涯と経歴、生い立ちと初期の学び ビソロッティは1929年にクレモナ北部のソレジーナで生まれ、家具職人の叔父の影響で若い頃から木工に親しんでいました。1940年代には彫刻家ジーノ・ロッタに弟子入りし、音楽への情熱からアマチュアヴァイオリニストとしても活動しました。独学でヴァイオリン製作を始めた後、1957年にクレモナ国際弦楽器製作学校に入学し、ピエトロ・ズガラボットに師事しました。 重要な出会いと研究: クレモナ国際弦楽器製作学校を1961年に卒業した後、ミラノ派のオルナーティやガリンベルティの修復コースでさらに学びを深めました。特に重要なのは、ストラディヴァリウスの修復の第一人者であるシモーネ・フェルナンド・サッコーニとの出会いです。ビソロッティはサッコーニに師事し、1962年から1972年にかけて、サッコーニと共にストラディヴァリの遺品コレクションの研究と再整理を行いました。この研究は、ヴァイオリン製作家たちのバイブルである「The Secrets of Stradivari」の出版につながりました。 後進の育成と製作活動 ビソロッティはクレモナ国際弦楽器製作学校で教師を務め、木工工房や弦楽器製作の指導を通じて多くの後進を育成しました。彼自身は、ヴァイオリンにはストラディヴァリ型、カミーリ型、ヴィオラにはガスパロ・ダ・サロ型やテストーレ型、チェロにはヴェネツィア派を模範とするなど、古典的な製作方法に忠実でした。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの他に、リュートやヴィオラ・ダモーレなども手がけ、約600台の楽器を製作しました。彼の作品は精密で緻密、完璧な精度と美しい造形美が特徴です。2019年に亡くなるまで息子たちと共に活動を続けました。 作品の評価 ビソロッティの作品は、新品であっても穏やかで伸びのある力強い音色が特徴で、ストラディヴァリウスを深く研究した成果が表れています。彼の製作方法は、特に「内型製作方式」という古典的な方法を取り入れて発展させたことで知られています。多くの名演奏家が国内外問わず彼の作品を愛用しており、現代イタリアの弦楽器製作の歴史そのものと言われるほどのカリスマ的な存在です。
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クレモナ国際ヴァイオリン製作学校の歴史と役割
クレモナ国際ヴァイオリン製作学校 (Scuola Internazionale di Liuteria, Cremona) は、1938年に設立されました。この学校は、ストラディヴァリ没後200周年を記念する事業の一環として、当時のイタリア政府によって設立されました。その目的は、弦楽器製作における優秀なプロフェッショナルの育成にあります。 この学校の設立は、かつてクレモナのヴァイオリン製作が「暗黒時代」を迎えていた時期に、その伝統と技術を再興するための重要なきっかけとなりました。世界各国から優れた製作家が講師として集まり、クレモナに工房を構えることで、再びクレモナがヴァイオリン製作の中心地として活気を取り戻すことに貢献しました。
世界中から集まる学生たち クレモナ国際ヴァイオリン製作学校には、イタリア国内だけでなく、世界中から多くの学生が集まってきます。年齢層も幅広く、若い世代から中高年まで、多様なバックグラウンドを持つ人々が共に学び、切磋琢磨しています。日本、韓国、中国からも多くの生徒が集まり、伝統的な製作技術を学んでいます。 教育内容 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスといった擦弦楽器の製作や修理、さらにギターやマンドリンのような撥弦楽器の製作の実技と理論を学ぶことができます。初期の学年では、イタリア語、数学、科学、歴史といった一般教養科目も履修しますが、学年が上がるにつれてヴァイオリン製作の授業の割合が増えていきます。
実践的な学び 学校のカリキュラムは、職人技術だけでなく、古典的な構造過程の理解や、現代の職人過程を生かした高品質な楽器製作のための知識と技術の習得に重点を置いています。研究室では、現役の職人が先生として指導にあたり、実践的な技術を伝えています。これは「教える」というよりは「技を盗む」という職人文化が根付いているためでもあります。 現代におけるヴァイオリン製作の継承 クレモナ国際ヴァイオリン製作学校は、ストラディヴァリをはじめとするクレモナの巨匠たちの技術と伝統を、現代そして未来へと繋ぐ架け橋となっています。この学校で学んだ多くの卒業生が、世界中でヴァイオリン製作家として活躍しており、クレモナのヴァイオリン製作の評判をさらに高めています。 また、クレモナ市は、500年近い歴史を持つヴァイオリン製作の伝統を後世に伝えるため、ストラディヴァリ博物館の設立や、ヴァイオリン製作コンクールの開催など、積極的な取り組みを展開しています。
このように、アマティ、ストラディヴァリを源流として、16世紀から現代まで絡み合った糸で繋がるヴァイオリン製作という伝統のなんと壮大なことでしょう。そして現代の作家たちも、かつての製作者の思いと同様に、これから未来につながる作品を伝えています。人の一生はせいぜい100年ですが、作者がヴァイオリンに注いだ魂は数百年をも生き続けます。そして音を奏で、音楽を創造するということに果てしないロマンを感じてやみません。
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