お気軽にお問い合わせください。
営業時間: 10:00~19:00

独自の繁栄と音楽文化を育んだ都市国家ヴェネツィア

1. ヴェネツィアの栄光とヴァイオリン製作

  • check_box

    水上都市ヴェネツィアと音楽

  • check_box

    ゴフリラーに始まるヴェネツィア派とクレモナの影響

  • check_box

    ヴェネツィア派のニスと特徴

  • check_box


    クレモナを凌ぐ憧れのヴェネツィアン・チェロ


  • check_box

    国家の衰退とヴェネツィア派の終焉

18世紀ヴェネツィアにおけるヴァイオリン製作と音楽の伝統 水の都ヴェネツィアは、今も昔も変わらず私たちを魅了し続けています。大運河とリアルト橋、サン・マルコ広場とフェニーチェ劇場、宮殿や美術館のような教会群は比類のない魅力を放っています。これらはすべて、驚異的な数の建築家、画家、そして著名な音楽家の活躍という、輝かしい文化活動の歴史と深く結びついています。またヴェネツィアの名声はヴァイオリン製作者の名声にも結びついています。ヴェネツィアの職人たちの技量は、その卓越した品質と、上質な木材と特別なニスを用いることで得られる、類まれな豊かさと比類なき美しい音色によって、かの有名なクレモナ派の職人たちの技量に匹敵するものでした。ゴフリラー、ゴベッティ、モンタニャーナ、ピエトロ・ガルネリ、トノーニ、セラフィンといった名工たちが名声を博したのは、まさにこうした文化の繁栄と芸術の進化という特別な背景によるものです。これらヴァイオリン職人集団の出現は、決して偶然の産物ではなく、それ以前までの基本的に教会的な性質を帯びた音楽作品、ヴィオール、リュート、テオルボといった楽器のための、宮廷音楽家による少人数アンサンブルから脱していった、音楽そのものの進化という文脈の中で捉えられなければなりません。

2. 名工たちとその技術

2. ヴェネツィアの歴史背景と音楽の発展

ヴェネツィアの栄光とヴァイオリン製作

  • Point 01

    ヴェネツィアという特異な共和国と文化

    ヴェネツィアの存続はヨーロッパにおいて特異な現象です。イタリアの都市ではなく、ヴェネツィアはヴェネツィアとして、共和国として存在をしました。13世紀から19世紀にかけて、他国との同盟を一切拒否した唯一の国で、ローマへの服従をしなかったヴェネツィアは、水の上に、そして自らの栄光の上に安住していました。その結果、ヴェネツィアは宗教的束縛、政治、商業、文化のあらゆる分野において、独立した都市国家となり、音楽の発展にも大きな影響を与えました。教会でかつてのように音楽が無料で演奏されることはなくなりました。音楽は、様々な一派が集まる宮殿で開かれる夜会となり、私的な聴衆のために演奏される収益性の高い芸術となりました。

  • Point 02

    音楽の進化と新たな楽器の必要性

    18世紀半ば、ヴェネツィア共和国が商業、経済、そして政治的に衰退期を迎えていた頃、音楽だけはこの都市で最高潮に達しました。モンテヴェルディからヴィヴァルディに至るまで、2世紀にわたる絶え間ない創作活動は、ヴェネツィアに最も輝かしい地位を与え、その技術を大きく進歩させました。大規模なコンサート編成の登場は、演奏者集団に新たな次元をもたらしました。必ずしも宗教的関連に従属しない音楽への進化により、音楽に対する新たな熱意に適応し、より力強く、鮮やかで洗練された音色を生み出すことができる新たな楽器の必要性が生まれました。この流れは、新たな社会生活のモデルを形成し、ひいてはヴェネツィアの音楽生活に直接的な影響を与えました。

  • Point 03

    ヴァイオリンの発明とヴェネツィアへの伝播

    フュッセン出身のカスパル・ティーフェンブルッカー(1514-1571)のヴァイオリンの古典的形態の創意、クレモナのアンドレア・アマティ(1535-1611)やブレシアのガスパロ・ダ・サロ(1542-1609)らによる確立により、北イタリアやドイツ南部、チロル地方では後に世界的に認められる、美しさ、力強さと音質を兼ね備えた楽器の製作者たちが多く出現し、特にニコロ・アマティ、ストラディヴァリ、ガルネリ・デル・ジェス、シュタイナーの名が知られています。17世紀半ばから18世紀初頭にかけて、ヨーロッパで使用されたヴァイオリンはブレシア、クレモナ、またはアブサムを源流としたものであると考えられています。これらの地で製作されたモデルは、ヴェネツィアのヴァイオリン製作者に一定の影響を与えました。

IMG_9166

3. ヴェネツィアの歴史的ヴァイオリン製作家たち

17世紀半ばには、ヴェネツィアの弦楽器産業の栄光を築き上げた職人たちが、既にヴィオールなどの製作活動を始めていました。フュッセン生まれで、ヴェネツィアで弦楽器製作者として名を馳せていたマティアス・カイザーは、ヴァイオリン製作に転向した最初の人物でした。そして、ヴェネツィアで最初の偉大な弦楽器製作者はマッテオ・ゴフリラーです。マッテオ・ゴフリラーはオーストリア国境に近いイタリアの小さな村に住んでいましたが、ヴェネツィアへ移住しカイザーに師事しました。カイザーの死後、事業を開始してから25年間、ゴフリラーはヴェネツィアで唯一のヴァイオリン製作者となり名声を博しました。なお、マッテオの息子フランチェスコも製作家でしたが、1714年にウーディネに移住しています。 この状況はゴベッティとモンタニャーナが1711年に店を開くまで変わりませんでした。そのため、25年間、すべての潜在顧客はゴフリラーのもとへ行き、注文に応じてヴァイオリンを製作していました。顧客が裕福な人であれば、ゴフリラーは最高品質の木材とニスを使い、ストリートミュージシャンであれば安価な木材を使いました。身長が6フィート6インチ(約190cm)の人には大きなヴァイオリンを、小柄な女性には小さなヴァイオリンを製作したそうです。ゴフリラーのモデルはどれも異なっており、チェロでさえも例外ではありませんでした。楽器の種類ごとに少なくとも3つか4つのモデルがあり、サイズは最大から最小まで様々でした。 この時代、クレモナで製作された楽器は、主にヨーロッパの宮廷音楽家のために作られました。一方でヴァイオリン製作の流派でもあったミラノは、主に中流階級向けの楽器を大量生産で製作しました。そして、ヴェネツィアでは楽器はあらゆる階層の人々に使用されました。 さて、ゴフリラーの競争相手として登場したのが、レンディナーラ出身のデメニコ・モンタニャーナとウーディネ出身のフランチェスコ・ゴベッティでした。二人はクレモナのアマティの影響を受けたともされています。また1718年頃、モンタニャーナとゴベッティにボローニャ出身のカルロ・トノーニとクレモナ出身のピエトロ・グァルネリが加わりました。そして1723年にはニコロ・アマティの弟子とされるサント・セラフィンが続きました。これら6人の職人が、ヴェネツィア流ヴァイオリン製作者の名声を築き上げたのです。 その後、ヴェネツィア共和国の政治的変遷、特にトルコとの絶え間ない紛争によって都市が徐々に衰退していく中で、文化的な風土も徐々に変化していきました。同じ頃、クレモナでは、ヴァイオリン製作の最高峰の二人の職人の生涯が終わりを迎えつつありました。アントニオ・ストラディヴァリは1737年に、ジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェスは1744年に亡くなりました。予想に反して、クレモナの衰退はヴェネツィアの発展にプラスに働かず、むしろヴァイオリン製作ギルドに悪影響を及ぼしました。1740年代以降、明らかに活力の喪失が見られます。そのような中、ミケーレ・デコネ、ドメニコ・ブサンとジョルジョ・セラフィン、アンセルモ・ベッロージオ、そして最後にアントニオ・チェリンが活躍しました。 ヴェネツィアの弦楽器製作者の威信の低下は民主化の時代を象徴しています。これは、楽器がもはや宮廷だけでなく、宮廷に雇われた音楽家たちも購入するようになったことを意味します。彼らは決して高給取りではありませんでした。彼らが必要としていたのは芸術的な楽器ではなく、むしろ自分たちが使える楽器でした。ゴフリラーより後の時代、ヴェネツィアの製作家は、質の高い楽器を象徴するそのスタイルを忠実に守り続けたため、ドイツなどの量産系楽器に押されていき、ついには終焉を迎えることになりました。 (文中カタカナ作家名) Matthias Kaiser   Matteo Goffriler   Francesco Goffriler Francesco Gobetti   Domenico Montagnana   Pietro Guarneri   Carlo Tononi Santo Serafin   Michele Deconet   Domenico Busan   Giorgio Serafin Anselmo Bellosio    Antonio Cerin


背景画像
4. 栄光から衰退へ
4. 栄光から衰退へ

19世紀に入ると、ヴェネツィアのヴァイオリン製作はその栄光の時代から衰退の道をたどることになります。商業的な競争が激化する中で、他の地域、特にクレモナが脚光を浴びるようになり、ヴェネツィアの名工たちが培った伝統技術やスタイルが薄れつつありました。商業的な競争は、ヴァイオリン製作だけでなく、様々な工芸品に対しても影響を及ぼし、ヴェネツィアの優れた職人たちは次第に見えない存在となってしまいました。
その原因の一つは、19世紀の社会情勢の変化にあります。ヴェネツィアは、オーストリアの支配下に置かれることとなり、政治的な不安定さと経済的な困難が製作環境に影響を及ぼしました。視覚芸術や音楽といった文化が衰退し、製作技術の継承が難しくなりました。職人たちの多くは、収入を得るために他の職業に転向ざるを得なかったり、海外に移住することを選択したりしました。このような状況は、ヴァイオリン製作の技術が次第に失われていく原因となりました。
また、技術的な革新や新たな材料の出現も、伝統的な製法に対して圧力をかける要因となりました。商業が重視されるようになり、安価で製作できる楽器の需要が増え、職人たちは質よりも量を求められるようになりました。このように商業主義が進むにつれ、ヴェネツィアのヴァイオリン製作は過去の栄光に逆行する形で衰退してしまったのです。
ヴェネツィアの技術やスタイルの消失は、音楽界にとっても大きな損失であったことは言うまでもありません。これまで伝承されてきた美しい音色と印象的なデザインを持つ楽器は徐々に姿を消し、音楽活動における多様性や深みが失われる結果となりました。時代の変化は避けられないものであり、ヴェネツィアのヴァイオリン製作もその例外ではないのです。
このように、商業的な競争や社会情勢の変化は、ヴェネツィアのヴァイオリン製作に多大な影響をもたらしました。栄光の時代からの移り変わりは、音楽と文化の歴史において重要な教訓をもたらすものと言えるでしょう。

5. ヴェネツィアの楽器の特徴

彼らは、最高品質の材料、主にバルカン半島産のメープル材を入手することができ、これらが使用されました。これはイタリアやヨーロッパの他の都市へ向かう途中、多くの木材がヴェネツィアを通過し、その一部はヴェネツィアに留まり、船の建造に使われていたという背景がありました。 クレモナへ送られる木材のすべてはヴェネツィアを経由した可能性が高いと考えられています。カエデ材は地中海沿岸に点在する様々な交易拠点から運ばれ、スプルース材はチロル地方から流れてくるアリジェ川から運ばれてきたものと考えられます。17世紀、ヴェネツィアには2500人もの木工職人がいたとされ、木材の需要は相当なものだったはずです。ヴァイオリン製作者たちはおそらく自分たちの目に叶う、豊富な選択肢を持って木材を購入できたことでしょう。 彼らの作品には、いくつかの共通点があります。 まずはヴェネツィアニスと言われる赤色ニス。その主な特徴は、色の豊かさ、塗り厚、そしてひび割れたような外観です。この豊かな色合いは、特定の顔料である茜(アカネの根に含まれる赤色の着色剤)と様々な樹脂(松、マスチック、コーパル)の組み合わせによるものです。この厚みは、鉛金属塩をベースとした茜染料の特徴である、非常に高い屈折率によるものとされます。ひび割れた外観については、水上都市ゆえの湿度の高さと、ニスの乾燥にクルミ油と亜麻仁油が使用されていたことによるという説があります。このニスについては、科学的な説明は完全にはできません。しかし、ヴェネツィアのニスは独特の美しさと深みを持ち、楽器の音質にも間違いなく影響を与えていると思われます。 次に木材の独特の質感、そして楽器の背面はクレモナ製の楽器よりも軽く(薄く)、表板はより頑丈(厚め)であるとされます。 fホールは独特の形状(下半分が非常に丸みを帯びている)で、表板上の特徴的な位置に配置されています。 楽器のヘッド(特にピエトロ・ガルネリ作)には、はっきりとしたガウジング(ノミの刃あと)の跡が見られます。また、スクロールがペグボックスと明確に区​​別されている点も注目に値します。 リブに非常に黒い炎模様(特にゴフリラーやモンタニャーナの楽器)が見られます。 響箱内部に荒いかんな跡が見られます。 オリジナルのラベルが存在しない(おそらく楽器の税金に関する理由によるものと思われる)またはラベルがある場合でも、教会に関する記載はありません(クレモナの場合とは対照的)。 多くのモデル(特にヴィオールの多様なサイズに深く影響を受けたゴフリラーの作品)の下部バウトは非常にふっくらとしており、低音域の音質を向上させています。

5. クレモナとの競争

6. ヴェネツィア製チェロの魅力

ヴェネツィア楽器、特にチェロに関して言えば、その最大の特徴の一つは低音の質であること答える方がほとんどでしょう。特に低音部における大きな特徴の一つは、その豊かなフォルムです。これらの楽器は豊かな低音を奏でます。C弦とG弦は深みのある音を奏で、A弦はわずかに鼻にかかったような甲高い音になる傾向があります。 ヴェネツィアチェロの最大の特徴は音の豊かさです。モンタニャーナ=ゴフリラー派全体が、特に著名なソリストたちから特に求められています。 モンタニャーナは非常に良質の木材を使用していました。ヴェネツィアの楽器、特にチェロでは、かなり幅広で木目がはっきりした松材が使われていることが指摘されています。この木材は、同時期にフランスなどで使用されていたような硬いものでなく、イタリア北部産とも考えられるスプルースはやや柔らかめです。チェロに関して言えば、ヴェネツィア流派は確かに真に深みのある音色と、かなりの音の遠達性ある楽器を製作していたとされます。

7. ヴェネツィアのヴァイオリン、チェロをお探しの方へ

  • 7. あなたもヴェネツィアの名器を手に入れよう
  • 7. あなたもヴェネツィアの名器を手に入れよう
  • 7. あなたもヴェネツィアの名器を手に入れよう
  • 7. あなたもヴェネツィアの名器を手に入れよう

ヴェネツィアのヴァイオリン製作者の世界に足を踏み入れることは、音楽創作が特に豊かだった時代を巡る魅力的な旅を伴います。ヴェネツィアにおける政治的出来事と芸術的出来事の相互作用には、模範的な側面があります。なぜなら、芸術家は常に社会に壮大さと永続的な名声をもたらすからです。ヴェネツィアのヴァイオリン製作の偉大な作品は、今も演奏家によってその当時の栄華を再現し、人々を魅了し続けているのです。私たちヴィルトゥオーゾではこのような希少な楽器を数多く取り扱い、名古屋、東京、京都、札幌などの店舗、拠点にて演奏家の方々はじめ必要とされる方のために入手のお手伝いをさせていただいています。

IMG_0157_Original

Contact お問い合わせ

Related

関連記事